実はマイナス思考です

ひとりで考え事をするといいことがない。
考えるきっかけは様々。
自己分析のようにきちんと自分と向き合って…という時はもちろん、
メールの返信がないだけで自己嫌悪に陥ること多し。

あそこはこう書くべきだったんじゃないか。
こういうところが良くなかったんじゃないか。
言うことを聞いてあれをすべきだったかも。
無意識に早口大きな声になって偉そうな物言いになってしまっていたかも。

そんなこと後でうじうじ考えたって取り戻せやしないのに。


振り返るまでもなく、
努力や考えが足りない私は、
人が当たり前にしている(とずっと信じて疑わなかった)ことが
出来ていない。
就職然り恋愛然り結婚然り。

お見合いも当然のように上手くいかない。
釣書は書類審査、お見合いは面接。
そう、就活とよく似ている。
散々失敗した就活と。
中身が空っぽなのを見透かされて落とされる。
この一言ですませてはいけないのだろうけれど「自業自得」


もうこうなってくると、
自分が欠陥品以外の何でもなく思えてくる。
いや、思えるだけでなくて実際そうなのかもしれない。
誰にも必要とされない欠陥品。

泣いたって何の解決にもならないのに
涙腺崩壊、涙はとめどなく溢れてくるから質が悪い。


そんな自分が大っ嫌い。
だからその反動なのか
妄想の世界では何でも出来て上手くいくスーパーレディ。
超前向き。



そして不思議なことに、友達と話している時もポジティブ。
同じことでも見る場所によって印象が変わることがあるが、
プラスの視点を見つけるのが得意。
現実の世界と妄想の世界を行ったり来たりすればどちらの立場にも立てるわけで、
ある意味得意で当たり前。




どんな分野においても、プロだなあ、と思う人は、圧倒的に陽な人が多い。
陽の人の周りには人がいっぱい。
それはそうだ。
一緒にいて楽しいもの。



転んだって失敗したって
下を向いたあとには上を向こう。
あゝなんて馬鹿なことをしたんだろう、と駄目な自分を笑い飛ばそう。
いくらでも見つけられる言い訳なんて捨てて、
潔く欠陥だらけの自分を認めよう。


レッツ  ポジティブ!



当日伝えそびれたハッピーバースデーをここで。
おめでとうをあなたに。

ほぼホボ記憶にない

Facebookが新着メッセージを知らせてきた。
「友達」以外からそういったものが届くのは【久しぶり】である。

大抵の場合、それらは迷惑メッセージ。
mixiなんて未だにプロフィール検索で、「所在地+年齢+性別」で辿り着いたと思われる殿方から
お友達になってくださいメールが届くことがある。
そんな人の友達アイコンは若い女の子で溢れていて
出会い系じゃあるまいし、と完全無視するのだが。

ショートメッセージや携帯メールにも迷惑メールはやってくる。
出会い系は男性の方が引っかかりやすいんだろうか、なんて思いながら
即ゴミ箱行き。

今回もそんなだろう、と思ったのは
登録名が本名でなかったから。
でも一応開いてみると
「お久しぶりです」から始まるメッセージの後、
きちんと名乗ってあった。
名乗ってあったのだが、残念ながら苗字を見てもピンとこない。
うん、なんとなく、初めてではない気がする。するよ。
でも顔が思い浮かばない。
試しにページにとんでみる。
共通の知り合い7人。
おー!
わかりやすくサークルの後輩ばかり。
写真はない。
携帯の電話帳を開いてみる。
登録なし。
ごめん、やっぱり思い出せない。

でも登録申請してくれて
メッセージまでくれているから
正直に憶えていない旨を伝える。
伝えたにもかかわらず、
なんだかあたたかい返信。
オトナだ。

「変わってない」と言われた。
文字のやりとりだけにもかかわらず
「明るい」らしい。

いいことなのか?
悪くはなさそうだけど。
少なくとも褒め言葉として受け取って良さそうだけど。

機会があれば会いましょう、という
お約束の文句でしめる。
社交辞令だ。
いや、社交辞令なのか?
「計画たてたら知らせて」は真に受けていいんだろうか。

いかんいかん、こういう時に【陰】の部分が出てくる。
ある意味自分勝手に(知り合いのように)
「みんな私に会いたいに決まってる!」くらいに思わなければ
世の中楽しくない。楽しめない。


マイナス要素をプラスに変える、くらいの気概で生きねば。


まどろっこしいことを綴ってみたけれど、
ようは社交辞令だとしても会いたがってくれる人がいて【それなりに嬉しかった】というお話でした。


素敵な休日を!!










夢の中で逆プロポーズ

夢にまちゃりんが出てきた。
17年も会っていないというのに。
ここ最近、思い出すような出来事もなかったというのに。

完全に不意打ちだ。



夢の中の彼は
あの頃と変わらず、美しい目をしていた。
気怠そうな雰囲気も、そのままだった。

ただひとつ違うのは、
彼は病と闘っていた。
何度も手術を繰り返し
心身ともに疲れ果てていた。


私の膝に寝ころんで彼が言った。
「10年、20年先、親が死んだら、オレの介護誰にしてもらうんだ、とか考える」

将来に希望を持つことを止めてしまった大人の
絶望とはまた違う
様々なことを諦めた悲しげな眼差し。


「その時独身だったら、私が面倒みてあげる。多分このまま結婚できそうもないから心配いらないよ」

彼の頭を撫でながら、私は言う。
憐れみでも同情でもなく、
愛おしさから。
少しの自嘲をこめて。


言った瞬間、
私は自分が夢の中にいるのだと
はっきりと悟った。


悟ったにもかかわらず
いや
悟ったからこその続きの一言の都合の良さに
笑うしかなかった。


「だったら今、結婚しようぜ」




久しぶりにきゅんとしたのが夢の中だなんて、私らしい。

彼の幸せを、遠くから祈っています。


無理の限界は無理せねば理解できない

同じ動作を繰り返したり
極度に疲れると
体調が悪くなる。

と書くと
そう特殊な事ではないようだが
平たく言えばその通りで
ただ人よりも
早く
強く
その症状が現れる、という
ただそれだけの事。


つまり無理は厳禁。


ところが、だ。
この「無理」というのが非常に厄介なもので、
どこかで数値化して知らせてくれるならば、
手前で止めることが出来るものかもしれないが、
ひどく主観的なものであるがために
少なくとも私には
結果論としてしか理解出来ないものなのである。



多分まだ大丈夫。


問答を繰り返し、限界の見極めに徹する。
最近は随分上手くなった。


厄介なのは
アドレナリンが出ている時。
他に関心事がある時。

病は気からと言うけれども、
気分が高揚していると
感覚に対する精度が随分さがる。
昔、修学旅行中に大浴場で火傷し
ひどい水ぶくれになったものの
帰宅するまでは気にもならなかった経験あり。

そして私は
恐らく人よりもテンションがあがりやすいお調子者。
おまけに
無駄な事が大好き。


見るからに元気そうな(丈夫そうな)フォルムのため、
少々無理しても気付いてもらえないし、
頑張っていないと怠けているようにしか見えない。


ううむ。なんて面倒な!



とりあえず、
物事は計画的に進め、
極力無理はしないように。
結果論でも
入院しなくてすむように。


心穏やかなのが一番。









残りの2割に希望は託せない

ついに病名がつきそうだ。
通称MS。
医薬営業でも
敬称でもない。
Multiple Sclerosis  多発性硬化症だ。

難病情報センターによれば
わが国全体で約12,000人、
人口10万人あたり8~9人程度と推定」
されるそうだが、
お互いに顔と名前が一致する人間が私には1万人もいないにもかかわらず
友人の一人がこの病だ。
統計上の数値と現実の違いである。

ドクターは一日も早く事実を受け入れて投薬を開始するように勧めてくるが、如何せん難病である。
無駄に中途半端な知識がある私は
恐らく周りの誰よりもすんなりと現実を受け入れているのだが、
始めるが最後、生涯薬漬け。
再発防止の為に、一生薬漬け。

覚悟が決まらない。


8割MSだろう、と言われた。
症状は特に変化なし、と呑気に構えていたら
いよいよ太腿まで痺れてきた。
これは将来的に歩けなくなるコースだろうか。

絶望する程のことではない。

ただ「何か」を始める段階であると感じる。
のんびりと「何か」を探している場合ではなく、一歩踏み出す段階であると。


やりたいことより出来ること。
きっと、そこに希望はある。



ときめきとはココロのざわめきである

きゅん

とすることが悲しいかな最近ほぼない。


昔、恋を何年休んでますか?などというドラマがあったが、まさにその状態。
恋のはじめ方がすっかりわからなくなっている。

そもそも恋って
始めようと思って始められるものじゃないのだが、なんというか、そのきっかけさえつかめないということ。


きゅんきゅんしているのは、
小さなこどもに出会った時やら
かわいい物を見つけた時やらで
異性に対してのときめきたるや…
ドラマや映画、小説の中にしか転がっていないようだ。


ところが、だ。
思いがけない人が夢に出てきた。

心が少しざわついた。

ただ、ざわつきはあっという間にひいていく。だって夢について一日中思いを馳せているわけではないもの。

虹が消えていくかのように
何にざわついたのかも忘れてしまいそうなタイミングで
彼が「いいね!」と言っています、と知らせがきた。
特定のものにしか反応しなかった彼が、無関係な投稿に…


改めて、私の心はざわついた。


ざわめき二段重ね。



そして
ときめいている自分に気が付いた。


そう、

ときめきとはココロのざわめきである。


ただしこれが恋につながるかはまったくもって不明。

吾輩はゲンキである。

病名はまだない。
時々えも言われぬ痛みにより涙がぼろぼろと零れたり
手の痺れがひどく物を落としてしまう事もあるが
いたって元気だ。

ドクターの申されるところによれば
自己免疫疾患の一種らしい。
氷山のようなもので
水面下で悪さをしているものの
炎症をおこさぬ限り
検査をしてもあまり意味はないそうだ。

つまり
発症しないように気をつけて暮らすべし、ということらしい。


春と秋が危険とのこと。
間も無くむかえる四年目の春、
心して過ごそうと改めて思うのであった。